東京地方裁判所 昭和43年(ワ)9094号 判決 1971年2月12日
原告 平山萬里子
右訴訟代理人弁護士 後藤獅湊
被告 日生土地株式会社
右代表者代表取締役 佐竹繁寿
右訴訟代理人弁護士 河村貢
河村卓哉
右訴訟復代理人弁護士 安田昌資
豊泉貫太郎
主文
一、被告は、原告に対し金一三〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四三年八月二二日以降支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告その余の請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを一〇分し、その三を被告の、その余を原告の負担とする。
四、この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一、当事者双方の求める裁判
一、原告「被告は、原告に対し金一、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四三年八月二二日以降支払い済みまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言。
二、被告「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決。
第二、当事者双方の主張
一、原告の請求原因
(一) 被告は、被告の保管する金庫を顧客に貸与してその使用料を得るところの、いわゆる貸金庫業務を営業の一つとする会社であるが、原告は、昭和四三年二月二九日被告との間で、A種第三六六号貸金庫(以下本件貸金庫という。)につき貸金庫借用契約を締結してこれを借り受け、金メダル五個、銀メダル六箇、時価合計金一、〇〇〇、〇〇〇円相当を入庫しておいたところ、被告の貸金庫業務担当従業員訴外持田浜五郎は、同年六月一一日当時原告の夫であった訴外佐藤昌利より本件貸金庫の開扉と在庫品の閲覧を求められたのに応じ、持田の部下をして本件貸金庫を開扉せしめ、持田およびその部下二名立ち会いのもとに、右在庫品を佐藤に閲覧点検させ、同人は在庫品に関するメモを取った。
(二) 1 しかして、本件貸金庫借用契約においては、被告は、借用者本人またはその者より所定の手続を経て被告に届け出られた代理人(一名に限る。)の申し込みによって開扉に応ずるが、それ以外の場合には、官憲の適法な令状によるときを除き、契約の有効期間中開扉してはいけない旨の約定があった。しかるに、右の如く被告の履行補助者たる持田らは、約定の代理人でない佐藤の要請に応じて本件貸金庫を開扉し右契約上の義務に違反したものである。原告は、主位的に右債務不履行による被告の責任を主張する。
2 貸金庫利用の目的が、他人(被告をも含む。)に知られたくない品物を入庫し、借用者の私生活の秘密を守ることにもあることはいうまでもない。しかるに、右の如く被告の被用者たる持田らは、原告の承諾を得ずに本件貸金庫を開扉し、自ら立ち会いのもと佐藤に在庫品を閲覧させたのであって、このような行為は、原告の私生活の領域への侵入であり、故意または少なくとも過失によって、他人から干渉を受けないで自らの私的領域を守る原告の権利すなわちプライバシーを侵害する不法行為であるというべきところ、右行為は、被告の事業の執行につきなされたものである。原告は、予備的に被告の右使用者責任を主張する。
(三) 1 このように原告は、思いもかけず本件貸金庫が開扉され、在庫品をのぞき見されたことにより多大の精神的苦痛を蒙ったが、当時原告と佐藤とは、夫婦ではあったもののその関係は破綻に瀕し離婚の話を進めていた状態であったので(その後、同四三年七月一六日離婚の合意に達し同月二五日協議離婚の届け出をした。)、原告としては、特に旧姓の平山萬里子名義で本件貸金庫を借用し、代理人の届け出もせずに秘密の保持を図ったものであること、しかるに、被告は、大資本を背景にもつ資本金二〇〇、〇〇〇、〇〇〇円の大会社であり、貸金庫の種々の利点を説いて一般に宣伝しておりながら、これに対する原告の信頼を裏切って本件貸金庫を無断開扉したうえ、これにつき、原告が被告に対し同四三年六月二〇日到達の内容証明郵便で一〇日以内に善処方を求めたのに何等回答をなさず誠意を示さないことなどをも考慮すれば、右精神的苦痛に対する慰藉料は、少なくとも金九〇〇、〇〇〇円を相当とする。
2 原告は、被告の前記債務不履行または不法行為に対処すべき手続が判らなかったため、被告との交渉、本件訴の提起・追行などすべてのことを弁護士後藤獅湊に委任し、その費用として同四三年七月下旬金一〇〇、〇〇〇円を同弁護士に支払い、同額の損害を蒙った。
(四) よって、原告は、被告に対し主位的に債務不履行、予備的に不法行為(使用者責任)を原因として前記慰藉料金九〇〇、〇〇〇円と弁護士費用金一〇〇、〇〇〇円の合計金一、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する訴状送達の翌日である同四三年八月二二日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。
二、請求原因に対する被告の答弁
(一) 請求原因(一)の事実中、本件貸金庫の在庫品を否認し、その余の事実は、佐藤が在庫品に関するメモを取ったとの点を除き、全部認める。右在庫品は、金メダルらしきもの一個であった。
(二) 同(二)のうち、原告主張の貸金庫の開扉・閲覧について、持田らが被告の履行補助者であり、同人らの行為が被告の事業の執行につきなされたことを認め、その余の事実と主張は争う。
佐藤が閲覧したのは、自己および原告との共有物であるメダルにすぎず、しかも佐藤は原告の夫であったこと持田とその部下が立ち会い閲覧したのは、立ち会いを許す旨の約定に基づく正当な職務行為であって、同人らは職務倫理上その閲覧内容を他に口外してはいないことなどからして、同人らの行為が原告のプライバシーを侵害したものとは到底いうことができない。
(三) 1 同(三)1の事実中、原告と佐藤が従前夫婦であり原告主張の日離婚の届け出をしたこと、本件貸金庫借用契約は平山萬里子名義でなされたこと、原告主張の日同主張の郵便が到達し被告がその回答をしなかったことは認め、その余は争う。
夫婦間には本来秘密の存しないことが善良の風俗と言うべきであるから、本件貸金庫の在庫品を原告の夫である佐藤が閲覧したからと言って、原告主張の如き精神的損害が生ずる余地はない。仮にそうでないとしても、妻である原告がその保管する財産、しかも何の変哲もないメダルを、夫である佐藤に見られたことにより精神的苦痛を蒙るようなことは、特別の事情により生じた損害と言うべく、被告担当者がその事情を予見し得るものでもなかった。
2 同2の事実中、原告が本訴の提起と追行を弁護士後藤獅湊に委任したことを認め、その余は不知。
債務不履行を原因とする損害賠償請求訴訟に要した弁護士費用をもって、当該債務不履行から生じた損害ということはできない。
(四) 同(四)の主張は争う。
三、被告の抗弁
(一) 佐藤は、本件貸金庫開扉当時原告の夫であったが、昭和三九年二月頃より被告との間で本件とは別の貸金庫(A種第三八六号)の借用契約を締結し、原告を代理人として届け出で、原告と共同してこれを使用していた。このような経過からして、本件貸金庫の利用も日常家事の範囲に属すると言うべく、佐藤は原告に代り被告に対して、本件貸金庫の開扉を求める代理権を有していた。
(二) 仮にそうでないとしても、佐藤は、持田に対し本件貸金庫の借用名義人が平山萬里子(原告)であること、本件貸金庫の番号がA種第三六六号であることを正確に告げたうえ、原告は旅行中であるが至急調べたいことがある旨述べて開扉を要求したのであり、このことと前項の経緯からすれば、持田において佐藤による右貸金庫開扉の申し込みが日常家事の範囲に属すると信じたことにつき正当の理由があったと言うべきである。
(三) 本件貸金庫借用契約には、貸金庫に関する事故については、被告において重過失がない限り責任を負わない旨の約定があった。右に述べた事情のもとでは、被告に重過失はない。
四、抗弁に対する原告の答弁
原告と佐藤との身分関係および本件とは別のA種第三八六号貸金庫の利用に関する事実は認めるが、その余の事実と主張とは争う。
かりに被告主張の免責の特約があったとしても、被告の従業員・持田は、本件貸金庫につき、佐藤が所定の代理人として届け出られていないことを知りながら、まんぜんとその要請を容れて開扉したのであるから、右持田に少なくとも重過失のあったことは明らかというべく、従って、被告は免責されない。
第三、証拠関係≪省略≫
理由
一、被告が、その保管する金庫を顧客に貸与して使用料を得るところの貸金庫業務を営業の一つとする会社であること、原告が、昭和四三年二月二九日被告との間で本件貸金庫につき借用契約を締結しこれを借り受けたこと、被告の貸金庫業務担当従業員である訴外持田浜五郎は、同年六月一一日当時原告の夫であった訴外佐藤昌利より本件貸金庫の開扉と在庫品の閲覧を求められたのに応じ、持田の部下をして本件貸金庫を開扉せしめ、持田およびその部下二名の立ち会いのもとに在庫品を佐藤に閲覧点検させたことは、当事者間に争いがなく、その際佐藤が在庫品に関するメモを取ったことは、被告において明らかに争わないので自白したものと看做される。
ところで、≪証拠省略≫によると、本件貸金庫借用証の裏面には、本件貸金庫借用契約の内容とされた貸金庫使用規定が印刷されているが、それによれば、「貸金庫の扉を開けるには、A鍵・B鍵と称せられる二種の鍵を必要とし、A鍵は被告が保管し、B鍵のうち正鍵と称せられるものは借用者(すなわち原告)が保管し、B鍵のうち副鍵と称せられるものは、借用者と被告係員立ち会いのうえ封印して被告が保管すること、貸金庫の開扉の方法は、借用者本人または予め書面で被告に届け出られた代理人が自ら被告所定の貸金庫開閉票用紙に所定事項を記入して被告係員に差し出し、被告の保管するA鍵と借用者保管のB正鍵とを用いて開扉すること、代理人は一名に限り、その変更の場合には改めて被告所定の代理人変更届用紙に所定事項を記入し、借用者本人が署名捺印のうえ新代理人の印鑑票を添付して被告に届け出ること、つぎの場合、すなわち(1)借用者もしくはその代理人が使用規定に違反し、または被告あるいは第三者に損害を蒙らせたときは、被告は貸金庫借用契約を解除することができ、損害賠償権の担保として在庫品を留置するが、その場合に被告の催告にもかかわらず(行方不明等の場合は催告なしに)借用者より損害賠償の支払いがないとき (2)契約期間満了後または解約後三か月を経ても借用者が在庫品を引き取らないとき (3)官憲の適法な令状により開扉を求められたときなどには、例外的に前記被告の保管するA鍵とB副鍵を用い被告独自に開扉することがあること」とされており、A・B各鍵の保管については、右規定のとおり実行されたこと、原告は、右所定の代理人の届出をしなかったことをそれぞれ認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。
右認定の事実によれば、本件貸金庫は、前記例外の場合を除けば、借用者本人たる原告の要請がある場合にのみ(原告は代理人の届け出をしていない。)、被告がこれに協力して開扉されるべきものであって、その他の場合には、被告は、自らの必要または第三者の要請があるときでも、開扉してはならない契約上の義務を負うものであることは明らかである。そして、本件開扉が右例外の場合に該当することの主張・立証はない。
二、そこで、抗弁につき考える。
まず、被告は、佐藤の開扉要請行為につき、日常家事の代理権を主張し、予備的に表見代理の類推を主張する(抗弁(一)(二))。しかし、前記の如く、本件貸金庫借用契約上、原告の代理人として被告に対し開扉を要請できるものは、予め所定の手続きを経て被告に届け出られた一名の代理人に限られるのであって、被告は、それ以外の代理人からの開扉要請に応じてはならない義務を負担していたものである。そして、この理は、開扉を要請した者が日常家事代理権を有する場合であっても異なることはない。換言すれば、右のような代理人の指定に関する約定によって、民法第七六一条本文の適用が排除されたものというべく、このような約定の有効性は、同条但書の趣旨に徴し明らかなところであるといえよう。従って、同条本文の適用を前提とする被告の右主張は、いずれも失当であり採用できない。被告の履行補助者たる持田らの本件開扉行為は、右契約上の義務に違反するものといわなければならない。
つぎに、被告の免責の主張(抗弁(三))について、その主張のごとき免責の特約を認めるに足る証拠がないから、右主張も採用できない(被告援用の乙第二号証の二―前記貸金庫使用規定によれば、在庫品の有無・変質・滅失・損傷等の事故については、被告に重過失なき限り免責されることになっているけれども、本件のごとき債務不履行の場合に、右規定の適用がないことはいうまでもない。)。被告は、右債務不履行による責任を免れないというべきである。
三、進んで、原告のこうむった損害につき検討する。
(一) 一般に貸金庫制度が、在庫品の盗難・紛失・毀損などの事故を予防するだけでなく、借用者の在庫品に関する秘密保持のためにも利用されることはいうまでもない。ところで、≪証拠省略≫によると、原告と佐藤とは、同四〇年頃から夫婦仲に円満を欠き、離婚話も出るようになったので、原告は、とくに旧姓の平山萬里子名義で本件貸金庫を借用し、所定の代理人届もせずに秘密の保持を図ったこと、しかるに、被告は、大規模の貸金庫業者であって前記制度の利点を一般に喧伝しながら、これに対する原告の信頼を裏切り、前叙のごとく原告に無断で本件貸金庫を開扉し、在庫品を佐藤に閲覧させたのであって、このことを聞知した原告は、あまりの意外さに驚愕し、被告に対し憤懣の念を懐くと共に、この挙に出た佐藤に対する離婚の意思を固めるに至ったこと(同四三年七月二五日右離婚の届け出がなされたことは、当事者間に争いがない。)、被告の従業員・持田は、佐藤がB正鍵を所持せず、所定の代理人でもなかったところから、原告に無断で開扉を求めたことを察知しながら、被告保管のA鍵とB副鍵を用いて右開扉の要請に応じたものであったこと、当時の在庫品は、金メダル五個・銀メダル六個のみであったが、原告としては、これを佐藤に閲覧されたがために離婚における財産分与の協議上心労を増したこと、原告は、弁護士後藤獅湊を代理人として被告に対し、同四三年六月二〇日到達の内容証明郵便で被告の無断開扉行為を非難し、一〇日以内に善処方を求め、回答のない場合には法的手続きを採る旨通知したのに対し、被告は陳謝の意を表するなど誠意ある態度を示さないばかりか、何らの回答すらなさず今日に至っていること(同日被告に右郵便が到達し、その回答がなかったことは、当事者間に争いがない。)を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。
以上のとおりであって、これによれば、原告は、被告の前叙債務不履行により、慰謝料の支払いをもってつぐなわれるべき精神的損害を蒙ったものと解するのが相当であり、その額は、金八〇、〇〇〇円をもって相当と認める。なお被告は、精神的損害なきことにつき種々主張するが、夫婦間に秘密があっても、そのことが直ちに善良の風俗に反するものではないし、また、貸金庫を借用者に無断で開扉し、他人に在庫品を閲覧させれば、借用者が精神的苦痛を蒙るかもしれないことは、秘密保持という貸金庫制度の建前上貸金庫業者の容易に予測し得るところというべきであるから、被告の右主張は、いずれも採用できない。
(二) 原告本人尋問の結果によると、原告は、本件開扉がなされたことに対し、その事実調査と善後措置とを前記弁護士に委任し、同弁護士は被告に前記のとおり内容証明郵便で善処方を催告し回答のない場合は法的手続きをとることを申し送ったのに対し、被告からは何ら回答なく誠意ある態度が示されなかったため、原告は、同弁護士に委任して本件訴を提起し(右委任の事実は、当事者間に争いがない。)、同四三年七月頃同弁護士にその報酬として金一〇〇、〇〇〇円を支払ったことを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。しかして右交渉の過程において被告より何ら誠意ある態度が示されず、原告の蒙った精神的損害を慰謝するすべのなかった以上、原告が右弁護士に委任して本訴を提起追行するにおよんだことは、原告の損害賠償債権実現のため通常必要とするところと言うべきである。このような場合には、原告が右弁護士に支払った報酬は、事案の難易、請求額、認容額など諸般の事情を斟酌して相当と認められる範囲内のものに限り、被告の本件債務不履行と相当因果関係のある損害と解するのが相当であり、本件訴訟の経過から明らかな右諸般の事情からすれば、右報酬額は金五〇、〇〇〇円をもって相当と認められる。
四、以上の次第で、原告の請求は、右の慰謝料と弁護士費用の合計金一三〇、〇〇〇円およびこれに対する本訴状送達の翌日であること記録上明白な同四三年八月二二日以降支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、理由があるので認容すべく、その余は理由がないので棄却すべく、民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第一九六条第一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 沖野威 裁判官 佐藤邦夫 加藤英継)